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ウィンブルドン・ストーリー "ウィンブルドン史上最も有名なワイルドカード”

2019年のチャンピオンシップはもうすぐ始まる。

 

2019年の開幕を前に、ウィンブルドンはこれまでの歴史を振り返り、心に残る出来事を紹介しています。

今日紹介するのは、2001年にウインブルドンワイルドカードを得て出場したゴラン・イワニセビッチのストーリー。なぜ、史上もっとも有名なワイルドカードと呼ばれることとなったのか? それでは、イワニセビッチウインブルドンストーリーです。

 

 

1990年時代にゴラン・イワニセビッチほど、ウィンブルドンでハートブレイクを味わった人はいない。

1992年、彼は初めての決勝戦で、アガシに負けた。

1994年の決勝戦では、サンプラスに負け、

1998年には再びサンプラスに、5セットの熱戦の末、敗れた。

イワニセビッチは、その時の敗北を”人生で最悪の瞬間”と呼んだ。

彼は、最も切望するウィンブルドンのトロフィーを一生、手に出来ないように見えた。

その後まもなく、彼は、怪我とモチベーションに悩み始め、ランキングは急降下し、引退寸前のように見えた。

しかし2001年、終わったように見えた彼のキャリアが復活した。

当時ランキング125位であったイワニセビッチは、ウィンブルドン史上、最も有名になるワイルドカードを与えられた。

ワイルドカードを望んでいた。だから、もらえた時は、僕はそれを受けるに値するんだって証明できるかもと思った。あの時は試合を重ねるごとにどんどん良くなっていったんだ。”

初戦で予選通過者のヨンソンを破ると、モヤ、ロディック、ルーゼドスキー、サフィンを次々と破った。そして、その度に彼のセレブレーションはますます情熱的になっていった。彼は、今年こそは、自分の年であると思うようになっていった。

その信念は、準決勝のヘンマン戦で試された。地元の人気者を2-1で追う形となったイワニセビッチは、雨によって救われた。悪天候のため3日に渡って行われた試合で、ヘンマンはリズムを崩し、イワニセビッチが勝利した。

4度目の決勝戦の相手は、オーストラリアのパトリック・ラフター。天候不順のため決勝戦は月曜日遅くに行われたが、会場に詰め掛けたクロアチアとオーストラリアの観客が作り出す、ユニークで騒々しい雰囲気は、ウインブルドン史上最もドラマチックな決勝となったこの試合にマッチしていた。

セットカウント2-2で迎えた、5セット目の7-7の時、イワニセビッチは、ラフターのサーブをブレークして、優勝に向けて大きなチャンスを得た。

マッチポイントを握ったイワニセビッチだったが、その瞬間を待ち続けていた彼にとって、最後のハードルをクリアすることが困難を極めたのも無理はない。

初めの2つのマッチポイントは自らのダブルフォルトで失った。

ラフターのスライスがわずかにワイドとなって3度目のマッチポイントを得た時、イワニセビッチはしゃがんで祈ったが、結局そのマッチポイントもラフターにロブで抜かれて失った。しかし、苦難の後、つに4回目のマッチポイントをものにして、とうとうイワニセビッチウインブルドンで初優勝を飾った。

 

 

諦めなくてよかった。最後の最後で笑えてよかった。人生なにがあるか分からないと希望を与えてくれます。ワイルドカードで人生が変わったイワニセビッチウインブルドンストーリーでした。